突然思い立って、Twitterにて、ドラえもんの世界ではどのような時間理論に基づいたタイムトラベルが行われているのか考察してみたので、記録としてここに投稿する。
ドラえもんの世界では、基本的に、未来や過去からの干渉があった場合、それを既知として現在が構成されている。つまり、「親殺しのパラドックス」が成立しないのは、ある時間に親が生きている=いかなる時間からも「親殺し」の干渉が行われなかった、ということである。
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
ツチノコの話がその例で、「のび太が未来から現代にツチノコを連れて来る」という干渉が生じる前に、「未来の百科事典にジャイアンがツチノコの発見者として載っている」ことが確定している。すなわち、のび太がタイムマシンを用いた干渉をすることが既に決定しており、それを踏まえて現在が存在する。 pic.twitter.com/GhV2ohAgow
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
そうすると、ドラえもんがのび太のところに来た理由が破綻する。なぜなら、この論理によれば、ドラえもんがのび太のところに来るのは確定しており、それを踏まえて現在→未来が確定するのだから、「ドラえもんが来ない」→「ジャイ子と結婚する」という未来は存在しえないのである。 pic.twitter.com/55QfG8hPFC
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
そしてドラえもんの時間跳躍の基本理論では、不都合な現象が生じる。それは、「最初の〇〇」が存在しなくなることである。例えば、未来のツチノコはジャイアンが現代で捕まえた個体が繁殖したものであるが、その「最初の」個体も繁殖の結果生まれたものであり、スタートが確定できなくなる。 pic.twitter.com/Qoi74lLxOA
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
同様の現象はアイデアでも生じる。「あやうし!ライオン仮面」では、ドラえもんが未来の漫画雑誌を見ながら現代で漫画を描くが、そうするとその漫画のアイデアを最初に考えた人物が存在しなくなる。このように、確定した時間干渉が成立すると「閉じたループ」のような時間が生じる。 pic.twitter.com/kKFnCKm6Bp
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
「閉じた」ループであれば本来は侵入できないはずであり、この点でドラえもんの時間跳躍の基礎理論は破綻する。しかし、藤子・F・不二雄はこの矛盾を解決するための話を用意している。すなわち、閉じたループへの侵入のきっかけとなる、「確定していない『最初の』干渉」の存在を示唆しているのだ。 pic.twitter.com/HqQ6jRWPuj
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
そのエピソードの題名は「無人島へ家出」。のび太が無人島に漂流し、10年後にドラえもんによって発見され、タイムマシンで失踪直後の時間に戻ってくる話である。この時、ドラえもんが10年間も助けに来なかったのは「発信機が起動しておらず、居場所がわからなかったから」である。 pic.twitter.com/qppWEWimUy
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
「のび太が失踪直後にタイムマシンで戻ってくる」ことが確定しているのであれば、失踪直後の時間に戻ってきたのび太が存在しているはずであり、彼の漂流先は即座に判明する。よって、居場所がわからなかったのは、まだループが成立しておらず、ここで初めて干渉が生じたことが示唆されている。 pic.twitter.com/6DAfhicyvs
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
このエピソードを「第1ループ」と定義すると、第2ループにおいては「のび太が無人島に家出」→「数分後に戻ってきたのび太から事情を聞いて救出」→「タイムマシンを用いて数分だけ時間遡行」などの進行が考えられ、第3,4,…ループと続くうちに、矛盾を減らしながら安定したループを形成するであろう。
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
したがって、ドラえもん第1話「未来の国からはるばると」は、最初の時間干渉を描いたものと言え、この干渉により新たなループ(しずかちゃんとの結婚を含む)を形成し、試行回数が増えるごとに安定した状態に落ち着くと言えそうである。(しかし、ドラえもんが来た理由は何らかの形で変質しうる) pic.twitter.com/NkTt4XecIh
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
ここで、「時間」の概念には、実は2種類存在することがわかる。1つは「2017年11月11日」などの、時計が示す時間。もう1つは「その2017年11月11日は何回目か」を示す時間のことであり、これは今までの議論で「第nループ」や「n回目の試行」と呼んできたものである。
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
前者を「状態時間」と定義する。これは我々が感じることができる「時間」である。そして後者は我々には感知できない「時間」であり、神の視点でしか感知できないことから、ある意味”真の”時間、すなわち「絶対時間」と言えそうである。
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
この観点からすると、われわれは「時間」を感知しているのではなく、単に「状態」を感知しているのに過ぎない。例えば、自分が江戸時代にタイムスリップした、と感じるのは、風景が江戸時代風であり、暦が「天保元年」などを示しているという状態を感知したためである。
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
よって我々は「変化していく状態」のことを「時間」として認識している。モデル化すると、この世界は「現在の状態(入力)」→「変換(関数)」→「未来の状態(出力)」の繰り返しであり、我々はその産物を見て時間を認識しているが、何回の変換の結果そうなったか、という絶対時間を感じてはいない。
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
絶対時間は観測できない(観測者も状態の一部として変化するため)。ゆえにその正体は不明である(直列的or並列的な進行)。しかし、時間遡行の実現には、絶対時間を操作する必要はなく、現在の状態に逆関数を掛ければこと足りる(これにより状態時間が戻る。ただし、絶対時間的には未来である)。
— 大野 駿太郎 (@doraneko_b1f) 2017年11月11日
ようするに、我々は「時間」の”本質”を知覚しているわけではなく、あくまで時計(あるいは、他の”状態”を示す何か)を見て判断しているに過ぎないため、”状態”をいじる方法さえ考え付けば、比較的容易にタイムトラベルは実現できるんじゃない?って話。
実際、この記事も投稿日時をいじってあるので、ツイートとの時間的前後関係に矛盾が生じているのですが、お気づきになられましたかね?
まあ、藤子・F・不二雄先生の青年短編集まで手を伸ばせば、親殺しのジレンマを発生させた話(タイムマシンで子供時代の自分を連れてきたら、その子が自殺してしまい、それと同時に現在の自分も消える)とか、「念じる」ことで自分がタイムマシンを発明した世界線の「閉じたループ」に突入した、という、ここでの議論そのものみたいな話もあるのですが。。。
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